宮崎吾朗が語る”ジブリっぽさ”に成る程と肯く[読書メモ]

「熱風」2022年7月号の巻頭特集「ジブリパークってどんなところ? 何を大事にしてつくっているの?」で、ジブリパーク監督の宮崎吾朗さんのインタビュー記事が掲載されている。

そのなかで、彼がジブリっぽさについて調している部分に惹かれてしまった。

彼はジブリパークを、自分への「ジブリっぽいってなんだろう」いう問いに対する解釈だとして、「和洋折衷だし、いつの時代の
“和”かというと、大正か昭和初期、宮﨑駿の世代の人たちが憧れたモダンの時代」と考えていることを明かしている。

それは宮﨑駿監督やプロデューサーの鈴木敏夫さんが生まれるよりも少し前だというインタビュアーの指摘にも同意する。

つまり、作り手の記憶にあるノスタルジーを再現しようという創作スタンスからは離れた視座をジブリが有していることを意味しているのだと思う。

そして、「その時々で与えられたとか、やらなきゃいけなくなったとか興味があったものが映画になっていくんです」という言葉も、それを補足する説明と言える。

「だから、いろいろなもののコラージュなんですよね、ジブリというのは。いろいろな要素が混ざっているのが、たぶんジブリっぽい」

2.5次限化されたジブリパークを生み出す宮崎吾朗さんならではの鋭い分析であり、日本が育んできたアニメーション文化の原動力を天才肌の思いつきというような偶然の産物などではないと正しく導いてくれることを感じることができた発言。

近くで見ていたからこその慧眼だと思う。