「帰れない山」はイタリアのファミリー観を更新させる「北の国から」へのオマージュにあふれた作品だった[映画ながら観memo]
観応えのある映画だったというのか観終えたときの正直な感想だった。
というのも、147分という尺の長さがそうさせたことは否めないのだが……。
だからと言って辟易するわけではなく、悪い予感を抱きながらも何か(登場人物たちに訪れる)朗報を期待しながら観続けてしまえるような、あえて枝葉に散らないよう絞り込んだエピソードを淡々と並べたシンプルな構成。
つまり、序破急を印熟づける展開がないために“長い”と感じる、つまりそれはこの映画のテーマでもある“時間の経過”をしっかりと描くことにつながっているわけでもある。
「帰れない山」概要
原題は“Le Otto Montagne”、“8つの山”という意味のイタリア語で、これは後半に主人公のひとりであるピエトロの口から、自身と幼なじみのブルーノの“生きざま”を比較して説明するときに用いられている言葉だ。
2人の出逢いは1984年の夏。
都会で働く両親に連れられ、イタリア北部の寒村・グラーノ村で休暇を過ごすために滞在する12歳のピエトロ。
そこで一家が出逢ったのは、父親が出稼ぎで不在のため、牛飼いの手伝いをしながら暮らす息子と同い年のブルーノだった。
ピエトロとブルーノはすぐに意気投合し、自然のなかで友情を深めていく。
ところが、ピエトロの両親はブルーノの境遇を不憫に思い、トリノの学校へ通うサポートをしたいと言い出したところから、ピエトロと両親、そしてピエトロとブルーノの関係が微妙なものになっていってしまう。
物語はそこから時間が飛び飛びとなり、31歳になったピエトロとブルーノの再会、ピエトロの父の死と山の家の建築、そして2人それぞれの生き方へと移っていく。
時は移り、ネパールを彷徨して「自分の居場所が見つかった」と感じたピエトロがグラーノ村に戻り、ブルーノと再会。
しかし、ピエトロが羨ましくさえ思っていたブルーノの暮らしは崩壊して、彼は山に籠ると言い出し、独り、ピエトロの父の遺言でブルーノとピエトロが建てた山の家に行ってしまった──。
雑感
前半は、少年(ピエトロ)がひと夏の忘れられない体験に影響されてその後の生き方を変えていくようすを追っていくという、「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるような大河ドラマ的な作品だと思いながら観ていたのだが、大人になっていくピエトロとブルーノの描き方に接すると、どうやらそれは的外れで、どちらかといえば「北の国から」を意識させるような展開の設定をしているのではないかと考えを改めるようになった。
理由のひとつは、ピエトロの父(つまり黒板五郎)の存在の大きさ。
父は死んでも山の家として2人の心の支えとなり、彼らの行く末に多大な影響を与えているというイメージが、漠然と「北の国から」に重なった。
しかし、本作の狙いは家族の再生ではなく、あくまで自分の生き方を軸とした“学び”とは何かを問うているところにある。
ピエトロとは逆に、ピエトロの父と親子のように接してきたブルーノが、ネパール帰りのピエトロに「おまえは自分の言葉を見つけた」とかける言葉は、まさに“父たる存在”から継承されるべき“教え”だったのではないだろうか。
そしてその言葉がブルーノの口から発せられたとき、ピエトロとブルーノは実はドッペルゲンガーで、パラレルな人生の選択のなかで人間はどのような学びの機会があるのかを示そうとした作品だったのではないかという妄想に至ってしまった。
そう考えると、この結末は納得がいく。2人の人格は1つに“昇華”した、という解釈だ。
改めて言うと、「帰れない山」は“長い”映画だった。
しかし、その長さは2人分の人生の学びを凝縮したものであり、であれば決して長くはなく、仏教やヒンドゥー教などの哲学をコンパクトにまとめた秀逸な人生の指南書になっている、と言い直すことにしよう。
#帰れない山