ワンショットと言うギミックを忘れさせるシェークスピアの舞台みたいな現代悲劇 #ボイリングポイント

映画「ボイリング・ポイント|沸騰」の試写を拝見。

この映画は、人気レストラン(予約が埋まって満席──という状態でドラマが進行)のオーナーシェフを中心に、関係者がワケアリで絡み合いながらストーリーを複雑にしていくという、ある意味では不条理ミステリーの王道的な展開といえます。

そんな王道を打ち破る演出が、90分全編でのワンショットという撮影手法なのです。

ワンショットは、話題性という点ではメリットがあるものの、編集や演出という点で制限を受けるために“両刃の剣”であることを、監督以下みんながわかりきったうえで臨んでいるであろうことを承知して観ていると、レストランというパブリックな場面とワケアリというパーソナルな画面を切り貼りすることでリアリティーを出そうとしているのではなく、“表”と“裏”を串刺しにしてどちらが現実なのかがわからなくなるような、観る者のシーンによる価値観の切り替えを許さない“作為”をありありと感じさせながら、エンディングへの期待感を高めるという、かなり博打的な手法として利用しているように感じました。

その博打の結果がどうだったかと言えば、オムニバス的なエピソードをシームレスにつなぎ得るだけの効果的な撮影手法になっていたと言えるでしょう。

ノーカットであることは、暗転無しの舞台演劇とほぼ同意になるわけですが、カメラアングルという第三者すなわち観客の視点を画角のなかで代替するようなワンクッションを挟むことで、逆に観客が客観的にストーリーを追うことを可能にするという効果ももたらしていることに気がついたりしたのです。

気になったのは、登場人物すべてが“同情すべき役割”を意識的に避けて構成されていたと思われる点。

これもまた、ワンショットというこの映画最大のチャレンジをまっとうさせるため、観客の視点の迷い(ある特定の役柄に同情する/させることによって生まれる本来ストーリーでは意図されない感情)が発生するリスクを少しでも抑えようという制作側の策略ではなかったのかとさえ思ったりもしました。

「ボイリング・ポイント|沸騰」は、カメラの視線を客席に追わせるという“枷”をハメながらも、謎解きやどんでん返しといったカタルシス米導くためにワンショットを決して“出汁”として扱わず、人間模様を不条理のまま映し出そうとした、イギリス映画らしい“ブラックな”作風に仕上がっているといえるんじゃないでしょうか。

それはつまり、ワンショットという技法を必要以上に評価(クローズアップ)するのではなく、しっかりとした心理描写を目的とした演技と構成によって組み立てられた映画だった、ということでしょう。

映画「ボイリング・ポイント」は2022年7月15日金曜日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー