映画「パパは奮闘中!」は人生が無常であり出来事に因果関係が必ずしもあるとは限らないことに気づかせてくれる

試写を見せていただいた映画が公開されています。

妻のローラと幼い二人の子供たちと、幸せに暮らしていると信じていたオリヴィエ。ところがある日突然、ローラが家を出て行ってしまう。オンライン販売の倉庫でリーダーとして働きながら、慣れない子供たちの世話に追われるオリヴィエ。なぜ妻は家を出たのか、妻を探し続ける彼のもとに、フランス北部のヴィッサンさんから一通のハガキが届く。果たして妻は、帰ってくるのか。オリヴィエと子供たちが辿り着いた答えとは──。

(パンフレットより引用)

淡々と出来事だけが綴られていく,ドキュメンタリーのような描写。

あえてサスペンスでも不条理ものでもないことを主張するかのようなフレームワーク。

引きの描写がないことで、地理的な説明をあえて排しているところがおもしろい。それによって人物がクローズアップされるから。

そのためにドキュメンタリーではなく、「自分がその立場ならどうなのか?」という問いかけがしやすい気がする。それが監督の狙いだろうか。

劇中に何度も“je sais pas”(だと思うけどフランス語のリスニングに自信がありませんので間違っていたらごめんなさい。ただ、字幕では「わからない」と書いてあったと思うので、意味としては離れていないと思う)というセリフが出てくる。これがこの映画のキーワードだと思った。

つまり、出来事に対して、当事者も「知らない」ということが、現実には多々あるということ。

要するに、なにかあったから、妻が出て行ったのでも、忙しいのに子どもの世話をしなければならなくなったのでもない、ということ。

たまたま。

しかし、それを受け容れなければ、生きていけないのが現実。

この映画のチラシにも「あの名作『クレイマー、クレイマー』から今新たに──」と、比較されることを想定したコピーが使われているが、「クレイマー、クレイマー」に向けられた視線とこの映画への視線は、正反対と言ってもいいのではないだろうか。

だからこそ、誰も「知らない」というまま現実は感情に関係なく進んでいくことを描くことができたのだろう。

パパはスーパー・パーソンでもなく、自暴自棄になることもなく、自己満足的に解決へと誘導することもない。

奮闘することこそが、生きるということなんだな、きっと。

#パパは奮闘中!