Pornhubとセックス産業とモラルと搾取

アメリカの有名ポルノ女優へのインタビューをまとめた記事。

シェリー・デヴィルさんが、Netflixのドキュメンタリー番組「Money shot」に出演した理由などについて語っています。

Netflixのこのドキュメンタリー番組は話題になっていたので、私も拝見。

Pornhubというアダルトポータルサイトが本人の承諾無しに動画を掲載して利益を得ていたり、それが未成年だったり、削除申告になかなか応じなかったり、削除されてもすぐに再アップされたりという問題を、丁寧に拾っていったという印象。肯定派と否定派を含めて当事者へのインタビューも織り込んでいて、誠実性を感じるものの、広げすぎた分、問題点がぼやけてしまったという感じもあったかな。

人身売買の話題にも触れていたけれど、それについては後半にかけてしぼんでしまっていて、人身売買をセックス産業と絡めて論じることの難しさも伝わっていたように思う。

Netflixのほうで印象的だったのは「アダルトサイトは爆竹製造者に喫煙を許しているようなもの」という発言。

また、「同意のないコンテンツのアップロードは“暴力”」という主張ももっともだと思う。それを安易にできる状態にしたままで、しかも多くの収益を上げている企業としてのPornhubの責任、という意味では、なにも解決されていない。

一方で、健康にセックス産業を消費している人も多いのは事実で、この視点を抜きにして排除論を進めるのは、自由経済としては問題があるのかもしれない。

こうした「女性やクイアのセクシュアリティへの攻撃」は、日本でもLGBT理解増進法の駆け引きで表面化した感があったけれど、アメリカではキリスト教右派が共和党保守系の政治家とつながることで強硬なポジションを築いていることを考えると、分断の深刻度はかなり大きいようだ。

そうしたところから、シェリー・デヴィルさんが語っているように「人身売買反対運動が実はポルノ反対運動」という牽強付会な主張を生むことになっているわけだけれど、一方がPornhubのような対象をスケープゴートに仕立てれば作戦成功であるのに対して、一方は表現の自由やそれによって得られる収益を守ろうとする経済的な個人の自由を「主張するだけでは足りずに証明しなければならない」という不均衡な関係になっているところも問題だろう。

言ってしまえば「主語の大きさが違う論議」なのだけれど、それをどう切り分けて、解決への道筋を探しているのか。

一方が解決を目的としていない(相手にダメージを与えるだけ、もしくはそれで自爆していくのを傍観するだけ)とい構図が透けて見えるだけに、モヤモヤが残る話題だった。