映画「3つの鍵」はパラレルな人生観を放置する度胸を日本人に突きつける

2021年制作、イタリア・フランス映画、119分。

イタリア・ローマの高級住宅街のアパート。日本ていうところのアパートのイメージではなく、コンシェルジュやドア・パーソンこそいないものの、アッパーな人たちが住んでいるだろうことが伝わる、古いながらも手入れのされたたたずまい。

登場するのは、その1階、2階、3階に住む3世帯。

映画の冒頭、唐突に自動車事故が発生して、女性が死亡してしまう。

あらら、ミステリーものなのかしらと見守るまでもなく、その事故の詳細が隠蔽され、それを伏線としてストーリーが進んでいく。

原作は小説で、同じ建物に暮らす3つの家族の話を、映画ではひとつの「人生」に帰結しようとする。

見始めてしばらくは、そうしたパラレルな構造が「ミステリーの謎を解くための伏線」なのかと裏読みすべく躍起になっていたのだけれど、やがてそれぞれが「人生」を語るための“肉付け”であったことに気づいて、そのまま受け容れることにしたら、観ているときに感じた息苦しさが和らいだ。

そしてまたこの映画は、「人生」への帰結ではあるものの、パラレルであることに対してバイアスを加えないような演出(配慮)が加えられている。

タイトルが示す「3つの」であることの重要性はまさにこの、パラレルであることを容認する、放置することにあり、それこそがこの映画のテーマであったと、観終わってしばらくして気がつく、という奥深い作品なのである。

ラストになっても、なにも問題は解決しない。そして、それが「人生」なのだという世界観を、オチがなければ落ち着かない現在の日本の観衆が受け止めきれるかどうか──。

それもまた、パラレルな世界の在り方、多様性のひとつなのかもしれない。