二階堂和美の高畑勲追悼文にある高畑さんのメールがヒトを批評することの本質に触れていると感じた


「熱風」2018年6月号。

二階堂和美さんはシンガーソングライター。スタジオジブリ作品「かぐや姫の物語」の主題歌「命の記憶」を作詞・作曲・歌唱をしている縁での追悼文。

高畑さんの生前、彼女が国家斉唱オファーを受けた際、それをどうするかを高畑さんに判断した返事のメールについて書かれている。

以下が高畑さんからのメール。

二階堂さんは君が代が好きですか、もし好きな曲を歌えばいいと思います。特に好きというわけでもないなら、アカペラで二階堂さんが歌って、個性的な良さが出る可能性があるかどうかを考えるべきだと思います。二階堂さんを好きな人々で、君が代を歌うべきでないと考えている人もかなりいるはずですから、その人々も含め、「なるほど、二階堂さんが歌うとこうなるのか、面白い」と感じられるような歌唱になるのならば、挑戦することに意味があるかもしれません。あの歌は、歌詞のメロディーをつけた歌なのに、その関係がデタラメで、こんな歌は伝統的な日本の歌には見当たりません。(中略)ただ、スポーツで優勝したときに流れる国家のうち、メロディーとしては、大部分が建国の行進曲調なのに対し、君が代は非常にユニークなので、その点ではなかなか面白いと思います。


この返信には唸ってしまいました。

まず、冒頭で、相手に判断をゆだねているところ。

どうしたらいいですかと頼られた場合、往々にして人は上から最初に、僕はこう思うとか、こうした方がいいとか、アドバイスを与えてしまいがちです。

しかし高畑さんはそうしない。

その前提で、「二階堂さんが歌って、個性的な良さが出る可能性があるかどうかを考えるべき」と、現実的な、彼女が判断する際の大きなヒントを与えています。

次に、リスクの提示。

そして相談をされた対象自体の俯瞰的な解釈。

もし、歌うことを選んだ場合でも、その人の功績につながるようなバックボーンをきちんと説明してあげている。

完璧な「批評」なのではないでしょうか。

ボクはこのメールを、ジャズシンガーがスタンダードを歌うか歌わないかと言うジレンマに当てはめて考えてみました。

あなたはスタンダードが好きですか、もし好きならば歌えばいいと思います。特に好きと言うわけでもないなら、アカペラであなたが歌って、個性的な良さが出る可能性があるかどうかを考えるべきだと思います。スタンダードを歌わないとジャズ歌手ではないと言う人はともかく、「なるほどあなたが歌うとこうなるのか、面白い」と感じられるような歌唱になるのならば、挑戦することに意味があるかもしれません。スタンダードナンバーは、アメリカの文化の中で生まれたものなので、日本語との関係がデタラメで、日本人の歌う伝統的な日本の歌には見当たりません。ただ、それを凌駕して歌われる場合、アメリカ人が歌うスタンダードナンバーよりもユニークになることがあると思われますので、そうなるとなかなか面白いと思います。

このパクり、高畑勲へのオマージュとして、許していただければと思います。