「ドラえもん」の価値観が世界では通用しなかったと言うのは日本人にとって驚きなのかな?

「熱風」 2017年12月号の、コルピ・フェデリコさんの連載「私のアニメ40年奮闘記」で興味深い指摘を発見。
「私が長い間、日本の漫画や小説を翻訳する際に毎回苦労した単語がある。それは「いじめ」である。私の子供時代には「いじめ」を経験したことはないし、周りにもそのような人は1人もいない。そもそも「いじめ」という単語自体がイタリア語に存在しないので、翻訳する際には説明的な長い言い回しを使うしかなかった。」
近いものとして、軍隊のときに上官から受ける「しごき」をあげているのだけれ、それってやっぱり「いじめ」とは違うよね。
そもそも「ドラえもん」はのび太をダメにしてしまうことしかしないドラえもんに対して否定的な意見が多く、ジャイアンの暴力性も肯定できないようだけど。
原作には“逆説的の文明批判”がある、という考えがあるかもしれないけれど、確かに登場人物たちが深遠な哲学を持って行動していると捉えるのはちょっと無理があるかな…。