リベラルアーツはアイデンティティなくしては身につくものではないのではないか?

 

世界のリーダーと言われる人が身につけているという「リベラルアーツ」。

 

もともとは、ギリシア時代やローマ時代の共通認識的なものを規範とした、いわゆる基礎教養という意味のもののようです。

 

この記事(世界のリーダーは、シェイクスピアに学ぶ)では、世界のリーダーをめざすなら、こうした知識が必須で、日本人には足りていないという論調。

 

世界標準と日本のガラパゴスを指摘して記事にするのは今に始まったことではなく、黒船的な視点が受ける国民性であることも否定しません。

だからといって、追いつけ追い越せとばかりに猿まねでしか成しえないことを推奨しても、意味がないのではないか、と。

 

もちろん、古代ヨーロッパの知識があって会話にちりばめられれば、アチラの方々からは一目置かれるかもしれませんが、所詮は「会話テク」のひとつにすぎません。

日本の能について教えてくれとか、米はなぜ日本で特別なものなんだ、といった疑問に答えられてこそ、そうした西洋豆知識も重みが出てくるというもの。

 

黒澤映画がシェイクスピアをもじったのだって、彼流の冷やかし的な部分が大きかったのではないかと言う気がするのですが。

というか、シェイクスピアだと時代が近すぎて、リベラルアーツと呼ぶには軽すぎるんじゃないか、と。

 

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いろいろ考えさせられたので、メモっておきます。

 

投稿者: gwt

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